君の睫毛が上下するのを
ぼんやりと見ている
瞳には夕闇が近づく空の色が
すこしだけ映りこんで
瞬きの度に色を変えていく
君の視線はノートと天井をいったりきたり
僕の視線は君に気づかれないように
君と君のノートの間をいったりきたり
落ち着かない夕刻
弱々しい「また明日」が
立ち上がるイスの音でかき消されて
臆病者の不安な夜がまた始まる
「おはよう」の後が続かない朝が
来るまでの長い夜
君の睫毛が上下するのを
ぼんやりと見ている
瞳には夕闇が近づく空の色が
すこしだけ映りこんで
瞬きの度に色を変えていく
君の視線はノートと天井をいったりきたり
僕の視線は君に気づかれないように
君と君のノートの間をいったりきたり
落ち着かない夕刻
弱々しい「また明日」が
立ち上がるイスの音でかき消されて
臆病者の不安な夜がまた始まる
「おはよう」の後が続かない朝が
来るまでの長い夜
僕は狭いキッチンのついた六畳一間のアパートに五人家族という家庭で育った。身体が大きくなってきた小学校五年で近所の知人宅に下宿、中学では実家から歩いて五分のアパートに一部屋与えられ、高校に入ると抽選で当たった公団住宅に家族に先駆けて一人で入居した。団地にはしばらくして弟が一緒に住むようにはなったけれど、実家で食事をとってから自転車に乗って自分の部屋に帰るという生活は続いた。だから世間並みに家族と一緒に暮らしたのは小学校五年までだ。就職後は独立して別のところへ引っ越し、実家に通うことは無くなったが、今も一人で暮らしている。
そんなわけで僕は一人暮らしを寂しいと感じたことがない。家族にすら干渉されないことが僕にとってのノーマルな生活なのだ。ただし、このワガママの温床のような暮らしが、人付き合いの悪さを助長したことは間違いない。自分の生活を大切にするあまり、他人を遠ざけたから、友人は本当に少ない。そのことが端から見るとひどく孤独な生活に見えるらしい。当の本人はそれほど悲観的ではないのだけれど。
孤独感というのは「他者との関係」がなければ成立しない。恋をしなければ失恋できないように、孤独を知るためには他者との関係をまず作らなければならない。だから僕はこんなに寂しそうに暮らしているのに、孤独をほとんど感じなかったのだ。
考えてみれば孤独を感じられるほどの関係を他人と間に持てたことがないのかもしれない。女性との関係でも、本当の意味で自分をさらけ出すことができなかった気がする。誰かに寄り掛かること、依存することがへたくそな僕は、好きだ愛してる受け入れろと相手に踏み込みながら、自分の中には受け入れていなかったのかもしれない。
最近、歌詞を考えながらそんなことを考えている。
誰かのことを思うとき
相手が同じだけ自分のことを思ってくれたらと思う
誰かを大切に思う気持ちは
大切に思われたいという気持ちの裏返し
なんの見返りも求めないこと
ただ、その人のためを思うこと
そんなことが本当にできるのだろうか
見返りを求めない愛情こそが
真の愛なのだと賢者は言う
賢者はその理想を実現できたのだろうか
愛すれば
愛されるのではないかという幻想
愛する気持ちは
いつかは相手に受け入れられるという願望
愛などという概念は
人類共通の夢想にすぎないのかもしれない
そんな気さえしてくる
受け入れられなかった思いは
跳ね返ってどこに行くのだろうか
少なくとも自分の元は帰ってきていない
親の子どもへの愛情が賢者の言うところの無償の愛に一番近いのかな
男女の仲ではなかなか献身することだけで満足とはなりにくいように思います。
個人的な感覚ではありますが。
好きなように選べばいい
選択肢は無限にある
君自身の未来図を
好きなように描けばいい
誰かに決められたとか
生まれが不幸だったとか
言い訳を言うのも自由だし
さけられない現実に対しては
自分の責任ではないと考えるのも勝手だ
この世に生まれた瞬間から
選択肢は減り始める
男だったら 女だったら
裕福だったら
背が高かったら
足が速かったら
でも
そんなことを考えている暇があったら
今何を選ぶかを考えた方いい
最後の選択肢はひとつしか残らない
いつかわからないその日までは
選べるのだから
贈りものをするとき
私はあなたのことを考えます
渡したときの顔を想像して
ちょっとニヤけたりもして
はたから見るとちょっと変かも
そんな風に
あなたのいないところで
あなたのことを思うこと
それを楽しく思えることが
まるであなたからの
贈りもののように感じます
贈りものをしたくなるような
あなたに出会ってよかった