好きになった相手に彼氏や旦那がいる場合、無理だろうなと弱気になるものです。かえって燃えるという人もいるのかもしれませんが、どっちかというと自分は腰が引けてしまう方です。
でも「好きだー」とかいう気持ちは非常に個人的な感情です。相手がどう思おうが好きなものは好きだし、彼氏や旦那からその女性を奪いたいほど好きということもあります。それに気持ちをこちらに向けさせられる程度の関係なら、そんな相手とはとっとと別れた方が幸せかもしれません。
ただし結婚している場合にはいろいろと問題があります。あれは契約ですから破棄してからでないと新規契約は結べません。まあ人間の気持ちより勝る契約なんてないのだからなんとかなりますけどね。
しかし、二十歳以下の子供がいて家庭が平和な場合には、絶対にちょっかいを出すべきではないと自分は思います。恋愛は当事者同士の問題。子供は絶対に巻き込むべきではありません。子供ごと幸福にする決意があればいいと考える人もいるでしょうが、色恋で眩んだ目ではその判断は難しいでしょう。
話がそれました。「振り向かせることすらできずに」は彼氏がいる女の子に恋をして、手を握ることも、肩を抱くこともできずにいる青年が、一歩を踏み出す決断をするという曲です。自分は玉砕したことしかないですが、歌の中ではハッピーエンディングという設定でいいんじゃないかな。
月別アーカイブ: 2006年5月
「虹を探して」という曲のこと
長い休みで片思いの女の子と会えなくて、日常生活の中でふと気づくとその女の子のことを考えてる感じを詩にしたつもりなんだけど、最近読み返してみて違う意味にもとれる気がするようになった。
離婚して子供の親権を失った男が、子供との日々を思い出しつつその思い出がすり減っていくとこを悲しむ歌。「出会う前には感じなかった孤独」という表現はそぐわないけど、親子ソングとしても読めてしまうのはちょっと誤算だった。
気になる異性がいる場合、あの子は今頃どうしているんだろうと考える瞬間がある。そういうときに思い出す表情とか仕草ってなんだかワンパターンで、やっぱり会いたいとか、電話でもしようと思うのが普通。でも、なんらかの理由で躊躇してしまい、ただ会える日を待っている。そういう中途半端な気持ちを歌にしたつもりなんだけどな。
「 虹を探して 」 詩・曲 JIMY-M [ライブ映像を見る]
土砂降りの空に 雲の切れ間見つけると
濡れるのも気にせずに 走り出す
石段を登りつめ 小さな展望台の上
虹を探している
ああ 無邪気な笑顔 やきつける
ああ 夏の日の で き ご と
君に会えない時間を 思い出で埋めると
記憶の中の君が 無表情になってしまう
出会う前には感じなかった孤独が
胸の奥で広がっていく
君の肩を抱き 指さす空の片隅に
ぼんやりとでも確かに 光の橋
くやしそうな顔で 見上げる展望台の上
虹を探している
ああ 無邪気な笑顔 やきつける
ああ 夏の日の で き ご と
君に会えない時間を 思い出で埋めると
指に残る君の肩の 感触が薄れていく
出会う前には感じなかった孤独が
胸の奥で広がっていく
ああ 無邪気な笑顔 やきつける
ああ 夏の日の で き ご と
君に会えない時間を 思い出で埋めると
耳に残る君の声が 思い出せなくなってしまう
出会う前には感じなかった孤独が
胸の奥で広がっていく