僕は狭いキッチンのついた六畳一間のアパートに五人家族という家庭で育った。身体が大きくなってきた小学校五年で近所の知人宅に下宿、中学では実家から歩いて五分のアパートに一部屋与えられ、高校に入ると抽選で当たった公団住宅に家族に先駆けて一人で入居した。団地にはしばらくして弟が一緒に住むようにはなったけれど、実家で食事をとってから自転車に乗って自分の部屋に帰るという生活は続いた。だから世間並みに家族と一緒に暮らしたのは小学校五年までだ。就職後は独立して別のところへ引っ越し、実家に通うことは無くなったが、今も一人で暮らしている。
そんなわけで僕は一人暮らしを寂しいと感じたことがない。家族にすら干渉されないことが僕にとってのノーマルな生活なのだ。ただし、このワガママの温床のような暮らしが、人付き合いの悪さを助長したことは間違いない。自分の生活を大切にするあまり、他人を遠ざけたから、友人は本当に少ない。そのことが端から見るとひどく孤独な生活に見えるらしい。当の本人はそれほど悲観的ではないのだけれど。
孤独感というのは「他者との関係」がなければ成立しない。恋をしなければ失恋できないように、孤独を知るためには他者との関係をまず作らなければならない。だから僕はこんなに寂しそうに暮らしているのに、孤独をほとんど感じなかったのだ。
考えてみれば孤独を感じられるほどの関係を他人と間に持てたことがないのかもしれない。女性との関係でも、本当の意味で自分をさらけ出すことができなかった気がする。誰かに寄り掛かること、依存することがへたくそな僕は、好きだ愛してる受け入れろと相手に踏み込みながら、自分の中には受け入れていなかったのかもしれない。
最近、歌詞を考えながらそんなことを考えている。