冷や飯を食らう

冷や飯を食べさせられることが屈辱となる国があるらしい。

昭和の頃、我が家には電子ジャーなどなく、ガス釜で昼に炊いた白米を夏場は冷蔵庫に、冬場はそのままにしていた。冷や飯である。夕食で温かいご飯を食べるためには、どんぶりによそって、蒸し器を使って温めて食べるのが定番だった。
家業が理髪店なのでお客の切れ目にさっと食事する必要があり、家訓として働く者優先が子どもにも徹底されていたから、順番を譲って後回しになり温かい状態で食事ができないこともあった。これは、食事のスペースが5人家族と職人さん1人に対して3人しか座れない狭さだったせいもある。休日以外は家族でテーブルを囲むということは珍しかった。
そんなわけで、子ども時代の自分にとって冷や飯はごく普通のことで、温かいご飯に対するこだわりは今でも全く無い。少年時代の習慣のせいか「温かいうちに召し上がれ」とか「アツアツをどうぞ」とかはむしろ苦手だ。やけどしそうになる。寿司が好きなのは冷や飯を食べ続けたせいなのかもしれない。母はご飯も味噌汁も温めて食べるように言っていたから決して伝統では無いが、自分には温めた味噌汁を冷や飯にかけて食べたときの温度が丁度よかったような気がする。
孤食を好むのも、家族で会話をしながら食べるより、1人でテレビを見ながら食べていることが多かったからなのかもしれない。食事を囲んだ家族の団らんを理想像として語る人は多いけれど、それぞれの家族の生活の中で育まれた行動様式は恥じるようなものでもないし、誇るようなことでもない。日常の中でたまたま出来上がったありのままというだけのことだ。好きにすべきだと思う。

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