ながいことるすにしてしまった

祖師ヶ谷大蔵駅

 ブログを始めたころは、自作曲の元となるような詩作を中心に毎日のように書いていた。その頃は同僚とか仕事関係の知人、バンド仲間などが読んでくれていて、感想などもときどき聞けたし、コメントを入れてくれる人もいた。最近は全く更新をしていないので見てくれる人も少ないだろうし、自分同様に存在すら忘れていることと思う。

 年齢的にも老年に入ろうとしているだけでなく、親も高齢で旅立つ日も近いから、自然と自分自身の末期についても考えるようになった。妻も子もない身だし、弟妹も結婚していないので、順番を守れば大丈夫だが、場合によっては身寄りの無い孤独死ということも考えて身の振り方を準備していかなければならない。

 子供なかった叔母は孤独死を回避するために自分の父を養子にした。親戚付き合いもきちんとしていたし、頻繁に行き来もあったので叔母には弔う人がいた。我家は母が先に亡くなったので親戚付き合いの担当者を失い、都内の親戚とは全く断絶している。

 自分自身の生活態度として親戚との交流は煩わしいからと避けていたから、今更自分の孤独を理由に擦り寄る気持ちはないのだが、もしもの時に頼る先が無いというのは困ったことではある。自分が最後になって弟妹を送り出してから去るのであればまだよいが、妹が最後になるのは避けたい。どうあれ、両親ともに散骨を希望し、墓に収まることを放棄した我家なので、縁者がなければ無縁仏として葬られることに異存は無い。

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